我孫子市の概要
我孫子市は、千葉県の北西部に位置し、北に茨城県、南に柏市・印西市と隣接しています。利根川と手賀沼にはさまれた海抜約20メートルのなだらかな台地が広がり、豊かな水と緑の自然に恵まれたまちとなっています。また、都心から約40キロメートル、常磐線で約35分の近距離にあることから、ベッドタウン化が進んでいます。
我孫子のあゆみ
東西に長い我孫子の台地には、市内最古の後田南遺跡があり、その出土品から、旧石器時代の人々が石器作りに適した石を長野県八ヶ岳や伊豆諸島神津島などから取り寄せて刃物として加工し、狩猟などによって食料を得ていたと考えられています。また、我孫子では弥生時代の住居跡としての遺跡が2ヶ所しか残っていないことが考古学上、興味深い謎とされています。
奈良・平安時代にかけて、我孫子は下総国相馬郡に属し、現在の日秀西遺跡周辺に役所が設けられ、一帯に村が広がりました。その後の鎌倉時代、我孫子を支配するようになったのは千葉氏一族の相馬氏でした。相馬胤村の三男胤光が根戸城を築城し、根戸氏を名乗ったとされていますが、城の字名に「道灌橋」があることなどから、千葉氏を破った太田道灌が築城したともいわれています。その後、相馬氏は奥州に出向となるため、戦国時代には高城氏が支配していたようです。
江戸時代になると、街道が整備され、水戸街道の宿場町として発展していきます。なかでも手賀沼は江戸時代から昭和40年代前半まで、美味しいうなぎの主産地として知られるようになりました。それから近代化の波が押し寄せたのは明治期に入ってからです。常磐線が開通し、交通・輸送手段が船から鉄道に代わると、大規模な工場が建てられる一方、我孫子の美しい自然に惹かれた、志賀直哉などの文人たちが競って住居や別荘を構え、経済や文化の面で大きく発展しました。しかし、急速な都市化に対応した浄化装置の設置が間に合わず、生活排水が手賀沼に流れ込み、当時の全国水質ワースト1になっています。
我孫子の市町村合併の流れは、明治22年(1889年)の町村制施行により、我孫子町・湖北村・布佐町が誕生、その後の昭和30年(1955年)には、3町が合併して我孫子町となり、昭和45年(1970年)市制施行により、我孫子市の誕生となりました。
我孫子の名前の由来
「我孫子」の地名の由来については次の4つが考えられています。
・大和朝廷の古い時期の官職として「古事記」等に出てくる「阿毘古」。
・元宮内省の大膳職に属する雑供戸「網曳(あびき)」。
・「アバ(崩れた)・コ(処)」や「アミ(網)・バ(場)」など、崩壊地形・漁場を示す地名。
・インドシナのチャム語「アビ(火)クク(神)」や、ヘブライ語「Abik(我らの先祖たち)」などの外来語。
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我孫子市民図書館 |
| 住所: |
〒270-1147
千葉県我孫子市若松26-4 [地図を見る] |
| 電話番号: |
04-7184-1110 |
| 開館時間: |
火曜日〜金曜日 9:30〜20:00
土・日・祝日 9:30〜17:00 |
| 休館日: |
月曜日(祝日は開館)、第2火曜日(祝日は開館)、年末年始(12月29日〜1月4日)、特別整理期間(前もって館内に掲示) |
| 入館料: |
無料 |
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